2005-06-07 第162回国会 参議院 国土交通委員会 第20号
そのときに、ある企業から来た方が、これはもう昔電発にいた、松永安左衛門さんに指導された方ですが、余りしゃべりはうまくなかったけれども、その人がやったことはどういうことかというと、全国の現場、全部回って歩いた、全部回って歩いた。それで、この会社の十五円になった株価は必ず何百円になるから、おまえら買え買えと、こう言っている。
そのときに、ある企業から来た方が、これはもう昔電発にいた、松永安左衛門さんに指導された方ですが、余りしゃべりはうまくなかったけれども、その人がやったことはどういうことかというと、全国の現場、全部回って歩いた、全部回って歩いた。それで、この会社の十五円になった株価は必ず何百円になるから、おまえら買え買えと、こう言っている。
私がかつて松永安左衛門の下におりましたときに電力の再編成というものをやりまして、国営事業から公益事業、民間企業になりました。それで九分割をいたしまして、恐らく戦後の改革でも一番これはメリットがあったんではないか。もちろん一方では三倍の値上げをいたしましたから、松永は、おれは殺されてもいいと言ってやったんですけれども、三倍の値上げをしたからあれができたんです。
○松本英一君 今回提案をされております東京湾横断橋の建設問題の歴史は古く、昭和三十年代の初め、電力の鬼と呼ばれた実業家、一八七五年十二月一日生まれ、一九七一年六月十六日没、即ち明治八年生まれ、昭和四十六年九十六歳の天寿を全うされた松永安左衛門翁の主宰する産業計画会議が昭和三十二年ごろ提唱をした東京湾の大規模埋め立て構想から出発したのであります。
しかし、先ほど来お話がありましたように、松永安左衛門さんが昭和三十二年ごろにこの東京湾横断道路を提唱されたという話も私初めて承りました。しかし、そういうことから考えてみますと、そういう大先輩が三十年も四十年も昔提唱したことがやっと今物になりつつある、我々の時代に。
その中で、国鉄監理委員会を設置すべしという議論が第四部会の報告に載っておるけれども、その性格について三条機関にすべしというのは臨調側の強い御意見のようであります、その理由はこれこれであって、歴史的に見ると三条機関にはこういうものがございます、公取とか国家公安委員会とか、あるいは占領下行われた松永安左衛門さん等が活躍した電力九分割に関する審議会がございました等々の三条機関の前例等も説明をして、八条機関
この経営形態については、私どもちょうど三十年ぐらい前に、松永安左衛門の産業計画会議でもって民営分割論ということを大分検討したことがあります。そのとき松永翁は、とにかくいまのままで置いたら国鉄は大赤字になる、松永さんの言ったとおりになっていったわけですが、それは経営責任というものがはっきりしていない。
三十年代の前半のいわゆる大変労使のトラブルの時期を乗り越えまして、ちょうど先生も御案内と思いますが、三十五年に民間の産業計画会議という松永安左衛門さんが会長をせられました会がいわゆる民営化ということを大変強く打ち出されました。
また松永安左衛門さんのような方、あの方も私はりっぱな能力を持った方だと思っています、財界人ではあってもですね。りっぱな能力を持った方だと私は評価をしております。しかし、まず金か、まず人材かといえば、やはり、まず第一条件は私は学問的なちゃんとりっぱな能力を持った人が第一義だと、こういうふうに思うのです。だからそういう面を忘れないで人選は進めていってほしいということをまあ申し添えておきましょう。
産業計画懇談会が最近出しました「資源と公害-日本の将来を決定するもの」これは、あの松永安左衛門さんの産業計画会議を引き継いで懇談会ができたものでありますが、ここに描かれてある資源問題というものを読んでみますと、中曽根大臣は明確に答えませんけれども、七億五千万キロリットルなんという原油を輸入するということは不可能だといっている。
これは松永安左衛門さんの執念からくるのでありましょうけれども、実はたいへんな長い年数の間これらの問題について提言をしてきているのであります。地元民のこの不安を解消するために、もう沼田ダムはやらぬならやらぬと――これはたいへんな犠牲をしている形になるわけで、そういったものは奥地山村のダムと違うわけでありまするから、そういった点でやらぬというのか。
この前、電力問題ですが、日本の電力九分割問題が出ましたときに、松永安左衛門さんが出てこられまして、私もそのとき電力の一委員といたしまして、私はあのような重要なエネルギーですから、これは九分割などすべきではない、必ず将来問題が起こるからこれは一本であるべきだ、だから、私は九分割に実は反対しました。ほかの皆さんは九分割に賛成なすったようですが、私は反対したのです。
もう一つは、それとの関連で、あなたの所管の物価にどういう影響を与えるかというところに、まだ、確たる見通しと言いますか、ないように伺っておるわけですが、実は、松永安左衛門さんが理事長をしておる電力中央研究所というものがございますが、これは大臣も御了承と思いますが、ここで、計量モデルを使って、円切り上げが日本経済に及ぼす影響というものを体系的にかなり詳しく分析をして、その結果として、円の切り上げは物価安定
東京湾の開発については、松永安左衛門先生が中心になった国民会議においても、非常に雄大な構想が出たこともございます。その他いま御指摘のいろいろのプロジェクトが提案されていまして、これについては建設省としても前からいろいろとフォローして検討してみました。その一つの提案の中に、御承知のように東京湾口の架橋の問題、それから中央を通る架橋の問題等もございます。
そこで、昭和二十六年当時、いわゆる只見水系の開発にあたって、当時の電源開発の総裁であった小坂順造氏、電力界の鬼といわれます松永安左衛門氏、これらが、私的の金であったか公的な金であったかは明らかにされておりませんけれども、百六十万円をくれて、中谷宇吉郎先生を主査とし、河川学では現在日本の第一人者であるA博士、砂防ではこれまた日本第一の学者でありかつ技術者たる参議院のA博士、N研究所の理事長K氏、運輸研究所
この産業計画会議というのは、日本の電力業界の大御所である松永安左衛門氏を筆頭にして、財界のお歴々がこれに参加しているというものですけれども、これを読んでみますと、大体、推進会議の意見書にいわれているように、公共負担はできるだけなくしていきたい、それからまた国鉄に対する国会の制約などはできるだけ取り払いたい、そうして国鉄はできるだけ自由な経営にしていきたいというようなことを非常に強調して、そうして公社
それから第二点の問題で、国鉄を民営にするための腹がまえでこのことが出ているんじゃないかと、たとえば松永安左衛門さんのいまの案というものをもってそういうことがあるのではないかと、こういうお話でございますが、これはそうはございません。
たとえば日本の農業ビジョンというものを松永安左衛門の産業経済計画会議が出したのは、十五カ年に八兆三千億の投資をしろ、そうすれば日本農業は外国農業に太刀打ちできるということを出している。農業基本法についてわれわれ社会党で検討したとき、われわれは、基盤整備だけで完全に集約大農化して外国農業と太刀打ちできるには、五兆円という数字を出して検討しておるのです。
最近、私たちに、松永安左衛門さんのところから、十五年後の農村の姿なんというのを産業計画会議から送ってまいりまして、ちょっと読みましたけれども、詳しいそういうビジョンまではきちっとしていないのです。
この問題が起きましたのは、最初昭和二十七年ごろ、建設省がたしか八十五メーター程度のダムをつくられるということが出まして、当時から地元では非常に心配をしておったのでありますが、しかしそれはそのままになりまして、三十四年の八月、松永安左衛門さんを中心とした、いわゆる産業計画会議のメンバーがかなり綿密なダム計画を出したことによって、再び大きな問題となりまして、当時、私記録を調べてみますと、三十四年の十一月
それから有沢さんとかいう人、松永安左衛門——これは新聞がでたらめを書いているわけじゃないのです。そして「河野、松浦両相が鋭く対立」などとでかく出て、おまけに、野球じゃあるまいに、それぞれの応援団も、圧力団体が応援団になっている。
これを見ると、ずっと航空審議会で研究をやっておりました有沢さんという方ですね、それからこの話を最初に持ち出したのは松永安左衛門さん——産業計画会議の委員長さんですね。この新聞を見ますと、この人がそういうものを持ち出して、一応形はつくらなければならぬですから、そういう審議会というものをつくってやってきた。一貫したものがあるのです。一貫したものが。
あの松永安左衛門さんのときに、産業会議で、国鉄の分割論、民営論というものも一時出ました。出たけれども、それは、だれもがいまそういう議論はあまり支持していないわけです。だから、いまの公共企業体といいますか、日本国有鉄道そのものが、現実の姿として公共性を持って一番いいとしかも国鉄の職員は、まあ事故は若干あったから問題もあるけれども、技術にしても運営にしても、まあいまの職員でそんなに悪いことはない。
松永安左衛門氏は、まかぬ極ははえぬ、この言葉の意味するものの深さはいまいよいよ痛感しております。文部大臣、よくお考えください。それから朝のラッシュの風景をときどき見ますが、私は自動車通勤です。無産政党でありながら私は財界出身の人間ですから、貧乏なために社会党に入ったのではありません。